今年も甲子園に高校球児たちが集う熱い季節がやって来る。今年は話題豊富で、特に早実の清宮幸太郎は1年生ながら大注目を浴びている。類まれな打撃センスを持ち、父親が元早稲田大学のラグビー部監督で、今社会人チームを率いて日本一に輝き、弟の次男の福太郎君も全日本リトルリーグで優勝。日本一に。長男の が今回地方大会を勝ち抜き、見事甲子園出場を果たすというスポーツ界の栄光一家だ。非凡な才能を開花させ、名声をほしいままにしている。今年の甲子園大会はいやがおうにも盛り上がることうけあいだ。経済効果は200億円を超えるとの試算がある。スーパースターの登場は、それだけ野球ファンを惹きつけるのだ。では、これまで、高校野球を振り返ると、大人を惹きつける球児たちには2パターンあることがわかる。それは怪物とアイドルだ。前者は、プロも唸るような非凡な才能と実力を発揮するタイプ。いわゆるオールドファンや玄人好みの選手だ。後者は顔立ちが、つまりルックスが良く、見て映える選手。おそらくは女子中高生の羨望を一身に集めるイケメン選手だ。
これまで長い高校野球の歴史の中で、ずば抜けた実力の持ち主(怪物)と、アイドルを絵に描いたような、甲子園ギャルたちの視線を浴び続けたイケメン球児を取り上げたい。
<怪物>
江川 卓(作新学院)
高校時代公式戦通算44試合中30試合完投。その3割の9試合が無安打ピッチング。甲子園のデビュー戦は圧巻の19奪三振。
甲子園の成績・・・6試合(4勝2敗)、投球回数59回1/3、奪三振92(1試合平均15.3)、自責点3、防御率0.46
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KKコンビ(PL学園)
両者ともに1年生の時からチームの柱として活躍。層の厚い名門PL学園にあって、才能を発揮し、互いに切磋琢磨して成長した。
5期連続甲子園出場。優勝2回準優勝1回、甲子園通算20勝3敗
桑田真澄 甲子園通算成績 20勝3敗(戦後の最多勝) 5完封
選抜6勝2敗 選手権14勝1敗 (最多勝タイ) 防御率1.55
清原和博・・・91打数40安打29打点13本塁打。打率は驚異の.440
3年時の夏の大会は16打数10安打8打点5本塁打、打率は.625
こんな凄い数字を残した選手は未だかつて現れていない。なのにプロでは無冠に終わった。
PLはただでさえ強豪校なのに、この2名を揃えた投手力や打線は向かうところ敵なし。常勝軍団として君臨したし、プロ野球予備校とまで呼ばれた。
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松井秀喜(星稜)
なんといっても彼を語る場合、伝説の5打席連続敬遠がすべてを物語る。ゴジラの愛称で、ホームラン打者の称号を得た。星稜高校時代の3年間に、通算60本塁打を放った。これは清原和博( PL学園)の64本塁打に次ぐ記録(当時)。通算打率は.450をマークした。誰もが勝負を避けたい超高校級のスラッガーだった。
松坂大輔(横浜)
平成の怪物として高校野球の頂点に2度君臨した。彼は杉内の鹿児島実業、準々決勝でPL学園を延長15回の末に撃破、準決勝では明徳義塾を6点差の劣勢から逆転勝ち、そして迎えた決勝戦の京都成章ではなんとノーヒットノーランで優勝を決めた。彼の伸びのある150超えのストレートと、高速スライダーは高校生ではまず打てない。
清宮幸太郎(早実)
12年にリトルリーグ世界一に輝いた清宮ジュニアで「和製ベーブ・ルース」の異名を持つ早実(東京)清宮幸太郎内野手(1年)。リトルリーグ通算132本塁打、飛距離 160メートルの特大ホームランを放つなど中学生離れしたパワーを誇る。
今夏、注目の打者の一人で、早実の出る試合は超満員が予想される。
<アイドル>
太田幸司(三沢商)
青森県が生んだ元祖アイドル球児だ。外国人のように色白で鼻が高い甘いマスクとひたむきなプレーで高校野球ファンを虜にした。決勝戦で松山商業に惜しくも敗れたが、堂々たる準優勝だった。彼が近鉄に入団した際は、女性ファンのために仮設の女子トイレをいくつも並べたというエピソードがある。
原辰徳(東海大相模)
高校・大学と父親が監督で、親子鷹として野球に専念した。高校時代から4番三塁手だった。甘いマスクでたちまち女性ファンのハートを虜にし、人気が爆発した。「「若大将」の愛称で存在感もぴか一だった。
高校通算公式戦記録
57試合出場43勝14敗 182打数67安打 45打点 打率.368
坂本佳一(東邦)
高校1年生にして名門・愛知東邦高校のエースとして夏の甲子園で準優勝に輝いた。あどけなさと可愛らしい顔立ちでバンビの愛称で親しまれ、女子高生の間で黄色い歓声がスタジアムにこだました。好青年&優等生タイプだった。私は昭和52年8月に、準決勝の大鉄戦を甲子園球場で生で観戦した。高1とは思えない球の速さと抜群のコントロールの良さに舌を巻いた。決勝戦で、松本正志(元阪急)擁する東洋大学付属姫路高等学校を相手に好投するも、10回裏にサヨナラ3ランホームランを打たれ準優勝に終わった。
定岡正二(鹿児島実)
昭和49年夏の選手権、原辰徳の東海大相模とのナイター延長15回の激闘を18奪三振の快投で制したが、準決勝・防府商戦で本塁突入の際に手首を負傷して3回無念の降板、不運のヒーローに。甘いルックスで、大フィーバーを巻き起こした。高い実力が相まって女子中高生から絶大な人気を得る。バレンタインにはチョコレートが全国から届き、自宅前には観光バスがやって来る始末だった。
荒木大輔(早実)
調布リトル時代から世界大会を経験し、大舞台に慣れていた。常に表情一つ変えないマウンド度胸で1年生から早実のエースとして活躍。キレのあるストレートと抜群のコントロールで三振の山を築いた。決勝まで54イニングス無失点記録を作り、あと1人のところで、愛甲率いる横浜にボークで失点。4対6で敗れた。私はこの試合の模様をVHSビデオに録画して、繰り返し何度も見た。早実は小沢という名二塁手や名将和田監督など夢のチームで、荒木は5季連続甲子園に出場した。
甲子園通算は12勝5敗だった。2年次以降、毎回優勝候補筆頭に挙げられながら、優勝を為しえなかった。
彼の登場で、人気に火がつき、甲子園ギャルとか追っかけという言葉が生まれ、一躍アイドルやスターとしての地位を確立した。
斎藤佑樹(早実)
上品でスマートなマウンドさばきが女性ファンを虜にした。ポケットからハンカチを取り出し、丁寧に汗をぬぐう姿から「ハンカチ王子」のニックネームがついた。彼は単なるアイドルではなく、実力も群を抜いていた。駒大苫小牧の田中将大との延長再試合の投げ合いにも投げ勝って王貞治以来の優勝を成し遂げた。
甲子園成績は8勝1敗
他にもアイドルとしてはダルビッシュ侑もいた。彼をもってしても東北に優勝旗を持ち帰ることは叶わなかった。
記事作成:7月30日(木)