旅の目的はいろいろだが、2年前に訪れた「坂井泉水」さんの墓参りの記事は大反響だったようだ。今でもその記事だけでも100件近くのアクセスがある。
私は、旅の目的はさまざまあって然るべきと思っている。嫌なことからの逃避行だけは、旅自体を心から楽しめないので避けたいと思っているが、何かしらの目的がないと面白くないし、その醍醐味が半減してしまう気がしている。
私が今、考えているのが、我が第二の故郷である「北海道」への再訪で、2年前に2泊3日で飛行機で往復して以来、何度か再訪を心待ちにしている状況だ。
まず、考えているのは、北海道を題材にした映画やドラマのロケ地巡りだ。高倉健や倉本聰が愛してやまなかったこの地で、日本を代表するような名作が誕生した。次に私が訪れたい北海道旅行のテーマは以下の2つだ。
①映画のロケ地巡り
日高地方に広がる牧場街や炭鉱と運命を共にした夕張。「優駿」「幸福の黄色いハンカチ」高倉健が駅長役を務めた「ぽっぽや」「駅-Staion-」などだ。
②サラブレッドたちの表敬訪問と墓参り
かつて一世を風靡した名サラブレッドたちが、種牡馬としてその余生を送っているのが北の大地北海道だ。そして多くの名馬たちが、生まれ故郷でもあるこの地で眠っている。「ハイセイコー」「オグリキャップ」「シンボリルドルフ」「トウカイテイオー」「シンザン」「トウショウボーイ」「ナリタブライアン」「テンポイント」などの名馬たちの墓参りに出向いてみたい。
参考記事 http://keibaka.tv/legacy/146/
それ以外にも「三毛別羆事件」の現場や「洞爺丸遭難の地」、そして上士幌町の糠平湖のほとりにある「タウシュベツ川橋梁」を訪れてみたいし、廃線後の「幸福駅」にも訪れてみたい。旅の楽しみは無限にあるようだ。
ではここで、②に挙げた、北海道にあるサラブレッドたちの墓の所在地を紹介し、更に実際に訪れた方のブログ記事をリンクしたい。ぜひ参考にどうぞ!
1 ハイセイコー
1970年代の日本で社会現象と呼ばれるほどの人気を 集めた国民的アイドルホースで、第一次競馬ブームの立役者となった。1984年、顕彰馬 に選出。1972年(昭和47年)7月、大井競馬場でデビュー。同年11月にかけて重賞の青雲賞優勝を含む6連勝を達成。翌1973年(昭和48年)1月に中央競馬へ移籍し、「地方競馬の怪物」として大きな話題を集めた。移籍後も連勝を続け、4月に中央競馬クラシック三冠第1戦の皐月賞を勝つとその人気は競馬の枠を超え、競馬雑誌やスポーツ新聞以外のメディアでも盛んに取り扱われるようになり、競馬に興味のない人々にまで人気が浸透していった。
墓の場所・・・新冠の「ビッグ レッドファーム明和」
http://blogs.yahoo.co.jp/babacyan2006/60799377.html
私は彼が引退した後の余生を過ごしていた1985年に、明和牧場を訪れ、1対1の対面を果たした。もちろん生存していた彼と出逢ったのだ。
2 トウショウボーイ
1970年代半ばにテンポイント、グリーングラス と共に「TTG時代」を作り、「天馬」と称された。主な勝ち鞍は皐月賞、有馬記念、宝塚 記念など。1976年度優駿賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬。1984年、JRA顕彰馬に選出。
墓の場所・・・新ひだか町の「トウショウ牧場」
http://yaplog.jp/turf/archive/66
3 テンポイント
1975年8月に競走馬としてデビュー。関西のクラシック候補として注目を集め、額の流星と栗毛の馬体の美しさから「流星の貴公子」と呼ばれた。クラシックでは無冠に終わったが、5歳時に天皇賞(春)と有馬記念(第22回有馬記念)を優勝した。後者のレースでトウショウボーイと繰り広げたマッチレース(2頭にグリーングラスを加えたTTGの三つ巴の戦いとして取り上げられることもある)は競馬史に残る名勝負のひとつといわれる。1978年1月に国外遠征に向けての壮行レース(第25回日本経済新春杯)中に骨折し、43日間におよぶ治療の末に死亡した。
1975年度優駿賞最優秀3歳牡馬、1977年度年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬。1990年に中央競馬の顕彰馬に選出。
墓の場所・・・北海道勇払郡安平町の「吉田牧場」
http://www.geocities.co.jp/SweetHome-Brown/2336/bokujyou.html
4 シンザン
1960年代に活躍した日本の競走馬、種牡馬である。 史上2頭目、戦後初のクラシック三冠馬。1964年・1965年啓衆社賞年度代表馬。1984 年に顕彰馬に選出された。八大競走の勝利数から「五冠馬」と呼ばれる。その走りは「鉈の切れ味」と形容された。クラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)、宝塚記念、天皇賞(秋)、有馬記念といった当時牡馬が獲得可能なGI級競走をすべて制した。デビュー戦から引退レースまでの連続連対数19は、中央競馬におけるレコードである。
墓の場所・・・浦河町の谷川牧場
http://www.j-horse.com/horse/virtual/urakawa-4.html
5 シンボリルドルフ
日本競馬史上4頭目の 中央競馬クラシック三冠馬(無敗で三冠達成した初の馬)であり、その他のGI競走を 含めると史上初の七冠馬でもある。1984年度優駿賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬、1985年度同年度代表馬および最優秀5歳以上牡馬。主戦騎手は岡部幸雄。1987年、顕彰馬に選出された。
馬名「シンボリ」は馬主の冠名、「ルドルフ」は神聖ローマ帝国の皇帝ルドルフ1世にちなんで名づけられた。その競走成績・馬名から「皇帝」、または「七冠馬」と称される。
墓の場所・・・不明
私がサラブレッドの中で一番好きな最強馬。1980年代、大学生の頃に見た「ジャパンカップ」の強さが目に焼き付いている。
6 トウカイテイオー
おもな勝ち鞍は1991年皐月賞、東京優駿(日本ダービー)、1992年ジャパンカップ、1993年有馬記念など。日本調教馬として最初の国際G1競走優勝馬である。1991年度JRA賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬および最優秀父内国産馬、1993年度JRA賞特別賞受賞。 1995年、顕彰馬に選出。七冠馬シンボリルドルフの代表産駒である。
骨折を繰り返しながらも不死鳥の如く復活を果たし、有馬記念などを制した。額の縦長の白い模様がトレードマーク。
有馬記念~引退式 https://www.youtube.com/watch?v=ak2DWsC4Jl0
墓の場所・・・安平町早来の「社台スタリオンステーション」
http://uma-furusato.com/news/detail/_id_74249
7 オグリキャップ
「平成三強」の一頭。第二次競馬ブーム期に、ハイセイコーに比肩するとも 評される高い人気を得た。 1988年度のJRA賞最優秀4歳牡馬、1990年度のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および年度代表馬。1991年、JRA顕彰馬に選出。愛称は「オグリ」、「芦毛の怪物」など。
1987年5月に笠松競馬場でデビュー。8連勝、重賞5勝を含む12戦10勝を記録した後、1988年1月に中央競馬へ移籍し、重賞12勝(うちGI4勝)を記録した。その活躍と人気の高さは第二次競馬ブームを巻き起こす大きな要因のひとつとなったといわれる。競走馬を引退した後は種牡馬となったが、産駒から中央競馬の重賞優勝馬を出すことはできず、2007年種牡馬を引退した。引退レースの「有馬記念」に出走し、並み居る強敵を敵に回し、見事優勝。有終の美を飾った。
墓の場所・・・ 新冠町の「優駿スタリオンステーション・メモリーパーク」
http://www.office-mitsuoka.com/blog/archives/16590
8 ナリタブライアン
中央競馬史上5頭目の三冠馬。愛称は「ブライアン」「シャドーロールの怪物」。 1993年8月にデビュー。同年11月から19953月にかけてクラシック三冠を含むGI5連勝、10連続連対を達成し、1993年JRA賞最優秀3歳牡馬、1994年JRA賞年度代表馬および最優秀4歳牡馬に選出された。1995年春に故障(股間節炎)を発症したあとはその後遺症から低迷し、6戦して重賞を1勝するにとどまった(GI は5戦して未勝利)が、第44回阪神大賞典におけるマヤノトップガンとのマッチレースや短距離戦である第26回高松宮杯への出走によってファンの話題を集めた。第26回高松宮杯出走後に発症した屈腱炎が原因となって1996年10月に競走馬を引退した。競走馬を引退したあとは種牡馬となったが、1998年9月に胃破裂を発症し、安楽死の措置がとられた。
墓の場所・・・新冠の「優駿スタリオンステーション・メモリーパーク」
9 メジロマックイーン
中央競馬で菊花賞、宝塚記念、天皇賞(春)(2回)などに優勝、1991年春の天皇賞では祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く父子3代天皇賞制覇を成し遂げた。同年秋の天皇賞で、日本におけるGI競走史上初の1位降着も記録している。獲得賞金10億1465万7700円は、当時の世界最高記録。獲得賞金額が10億円を突破した最初の馬である。1991年度JRA賞最優秀5歳以上牡馬。1994年、顕彰馬に選出。
墓の場所・・・洞爺湖町の「メジロ牧場」
http://uma-furusato.com/news/detail/_id_50468
その他
ライスシャワー 墓の場所・・・ユートピア牧場
http://www.cafekyoko.com/jouba/bokujo.html
サイレンススズカ 墓の場所・・・稲原牧場
http://www2.ocn.ne.jp/~yotaro/keiba/200307daiary_inahara.htm
ライスシャワーとサイレンススズカはレース中(秋の天皇賞と宝塚記念)の不慮の骨折事故で安楽死処置を施された。
グリーングラス 墓の場所・・・滋賀県「エンドレスファーム」
http://blog.goo.ne.jp/peaceorange/e/babe0a4e01cbfde428ac3f7470578853
ミスターシービー 墓の場所・・・千葉県成田市「千明牧場」
http://stream-oba.2.pro.tok2.com/22-JP-seikatu/14%20uma_haka.htm
http://www22.tok2.com/home/yuno/tibabokuzyou.htm
なお、次の人気馬は今も健在です。どこに行けば会えるか記載します。
「スペシャルウィーク」・・・新ひだか町静内のレックススタッド
「マヤノトップガン」・・・優駿メモリアルパーク
「メジロマックイーン」・・・
「ディープインパクト」・・・社台スタリオンステーション
「テイエムオペラオー」・・・新ひだか町静内レックススタッド
最後に、私が8年前にしたためたサラブレッドたちに捧げる詩を掲載して結びとしたい。
「名馬たちの墓標」 ~サラブレッドたちよ安らかに大地に眠れ~
そこは日高山脈の麓にある見渡す限りの牧草地帯
南に太平洋を望む国道より 川に沿って分け入れば
知る人ぞ知るサラブレッドたちの聖域
ここ日高は競走馬の生まれ故郷
今は亡き 世を席巻した幻の名馬に逢いたくて僕は旅に出た
通称牧場銀座と異名をとる新冠は 辺り一面雄大な平原
その一番奥深き場所に 明和という名の牧場(まきば)がある
時は水無月 梅雨なき大地の空はどこまでも青く
緑の芝生によく映え 眩しいことこの上なし
大小五十を優に超える牧場と厩舎 そして北の風物詩サイロは
さながらサラブレッドロードと呼ぶに相応しく
まるで水彩画のような風景がそこにあった
四方を白い柵に囲まれたその中で 鬣を振り乱し
縦横無尽に走り回る勇ましき姿
干草を頬張りながら我が子の行く末を優しく見守る母馬
その傍らで無邪気に戯れる子馬の微笑ましい光景
一方で一線を退き 疲れた体を休める往年のサラブレッドを尻目に
次代のスターを夢見て 日々トレーニングを繰り返す競走馬の群れ
そして何より馬たちの成長を願い 風雪に耐えて
牧場を守り抜いてきた人々の懸命な姿
そこには毎日繰り返される実直で飾り気のない真実のドラマがあった
やがて僕は ずっと憧れ続けた馬との対面の時を迎えた
その馬の名はハイセイコー 彼を知らない競馬ファンはいない
その昔一世を風靡し 一時代を築いた名馬の中の名馬
牧場主に面会を許され そこにいると告げられた場所へ足を運べば
厩舎裏の芝生に彼はひとり静かに立っていた
黒光りした艶のある馬体 引き締まった筋肉 そしてどことなく
威厳さえ漂わさせる風格と存在感 それは紛れもなく本物の彼だった
数分間 私は彼とふたりだけの時間を過ごした 歴史に名を刻む
名馬との対面は 全身を稲妻が貫くほどの凄まじい衝撃があった
思い返しても 未だ興奮冷めやらぬ研ぎ澄まされた感覚だった
当時 彼は引退後 生まれ故郷の大地に凱旋 文字通り錦を飾った
そして第二の人生を種牡馬として送り 二世三世の誕生に貢献していた
別れ際 ふと心をよぎるフレーズ 「夢をありがとう・・・ そしてさよなら」
それが彼に伝えたかった言葉だった
やがて世紀末の皐月の或る日 三十歳という高齢でこの世を去るまで
彼は過去の栄華とはおよそ無縁の静かな余生を送ったという
自然のなりゆきに任せ もはや誰からもあてにされず 責任のない
自由の身として 生きとし生けるもの本来の姿に戻って最期を全うした
あれからどれくらい経ったのだろう 今日も日高は都会の雑踏からは
かけ離れた異次元空間のまま
ここだけがあの日から時間が止まっている
小高き丘の上に登ればその片隅に 今は亡きサラブレッドたちの墓標
「偉大なる名馬 ここに眠る」と刻まれた鎮魂の碑
志半ばで散った馬たちの凛とした勇ましき姿が 今もこの胸に去来する
静かに手を合わせ 天に祈りを捧げた夕刻の情景
やがて僕は我が愛車と共に旅立つ
次代の担い手たちが元気に駆ける草原地帯を抜け 僕は一輪の風となり
やがて現れた桜並木の一本道を潜れば
見果てぬ夢は未だ覚めずこの胸を締めつける
晩年の「ハイセイコー」
記事作成:6月16日(火)