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Channel: 時遊人SUZUのひとり言
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最近見かける遅咲きの役者

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 芸能界は子役から活躍している役者もいれば、なかなか日の目を浴びず、脇役やチョイ役を経て、30歳を越えて、とかアラフォーでようやく脚光を浴びる、いわゆる遅咲きの俳優さんがいる。今回は後者にスポットを当てたい。最近、いきなり出てきた感もあるが、実は長年下積みを重ねてようやく出番が増えたベテランの方々だ。ではさっそく見て行きたい。

 リリー・フランキー

Ririfranky 彼は俳優が本業ではなく、何でもこなすマルチタレントだ。主な肩書きはイラストレーター、ライター、エッセイスト、小説家、絵本作家、アートディレクター、デザイナー、ミュージシャン、作詞家、作曲家、構成作家、演出家、ラジオナビゲーター、フォトグラファー、俳優など、非常に多種多才な顔を持つ。 血液型は典型的なB。51歳。

 私は深津絵里と共演した「ハウジングメーカー」のCMで知った口だった。最近では「トントントントン日野の2トン」ですっかり有名。人間臭さが漂う印象だが、実はおしゃれで、「ワンダフルライフ」のMCを担当した時は、そのB型特有の独特なファッションセンスが光った。

 実を言うと、私の職場に彼にそっくりな同僚がいる。やはりB型で、おしゃれで原色の外車に乗っている。

 吉田 鋼太郎

Yoshida 高校生の時、劇団雲のシェイクスピア喜劇「十二夜」を見て役者を志す。上智大学在学中シェイクスピア研究会公演「十二夜」で初舞台を踏む。上智大学中退。56歳。
 劇団四季(在団期間6か月)、シェイクスピア・シアター、劇工房ライミング、東京壱組を経て、1997年(平成9年)に演出家栗田芳宏と共に劇団AUNを結成、演出も手がける。舞台を中心に活躍。シェイクスピアやギリシア悲劇などの海外古典作品に要求されるスケールある演技を得意とする。蜷川幸雄演出作品の常連俳優でもある。 
 2010年代以降、テレビドラマへの出演が増え、2014年には連続テレビ小説『花子とアン』に炭鉱王と呼ばれた実業家・伊藤伝右衛門をモデルとする嘉納伝助役でレギュラー出演し、無教養で不器用だが情の深い富豪を好演して評価を得た。

 名バイプレーヤーという位置づけだった。主役を張ることはほとんどなく、脇役に徹していた印象。朝ドラに出演してから、その名演技ぶりに注目が集まり、2014年からブレイクし、主演ドラマも増えた。リリー・フランキーによく似ている。同じB型なので納得。下積みは15年間程度ある。

 長谷川博己

Hasegawahiroki  38歳。中央大学文学部卒業。2001年、文学座附属演劇研究所に入所(第41期生)。2006年4月、準座員から座員に昇格。同年12月22日付で退座。

  2010年放送のNHKドラマ『セカンドバージン』で主演の鈴木京香と不倫に落ちる年下男性を演じ、注目を集める。2011年、テレビ東京放送の『鈴木先生』で民放テレビドラマ初主演。   

 2011年に日本テレビで放送され高視聴率を記録した『家政婦のミタ』では優柔不断で若年な父親役を演じ、さらに注目を集めた。つまり俳優の勉強を始めてから約9年間も主演を張ることは少なく、端役ばかりだった。神経質そうな役柄ははまり役で、やはりA型だった。

 大杉 漣 63歳

Ohsugi 徳島県小松島市出身。明治大学中退。血液型はB型。
 1973年、雑誌『新劇』に掲載されていた太田省吾の記事に感銘を受け、太田の劇団員募集広告に応募し研修生として採用される。その後、あまり脚光を浴びず、日活ロマンポルノや新東宝などのピンク映画に積極的に出演するようになった。
 しかし、転形劇場の運営は太田省吾一人の才能に頼りがちで興行的にも悪化し、1988年には解散した。大杉は37歳で活動基盤を失った。
 1989年以降、再び映画界への進出を望んだが、希望する役を射止めることはできず、Vシネマなどに多数出演して収入を確保する生活が続いた。

 2010年代を迎え、出番が急増するまで下積みは実に40年近い。

 真木よう子 32歳

Maki 中学卒業後の1998年、応募者約1000人の中からわずか5人の合格者の内に選ばれ、仲代達矢主宰の俳優養成所「無名塾」に入塾。合宿で日課となっている早朝の持久走を早い時間に済ませて先に発声練習をして集合場所で待っていたため、それを見た仲代がサボったと思い大激怒。納得の行かなかった真木は逆に仲代に怒り返したことから、結局そのまま退塾・帰京。
 2003年のオムニバス写真集『LIP』で水着姿を初披露。水着のグラビアはこの時と『月刊真木よう子』のみである。2005年に撮影した初主演映画『ベロニカは死ぬことにした』で初めてヌードシーンに挑戦した。2007年発売の写真集『月刊真木よう子』ではセミヌードを披露している。2006年11月、『ゆれる』で第30回山路ふみ子映画賞新人女優賞受賞。つまり女優としての地位を確立するまでに8年近くかかった。女優の1年は男優の3年と言われ、若くして出番を多くする方が多い反面、彼女は遅咲きだったと言える。

 吉田羊(よう) 39歳

Yoshidayo 福岡県久留米市出身で血液型はO型。竹内結子と吉永小百合の若い頃を足して2で割ったような容姿。芦名星にも似ている。
 情報誌『ぴあ』に掲載された3ヶ月後の舞台作品へ出演する女優を募集する劇団の三行広告に応募して、小劇場の舞台で女優としてデビューした。1997年のデビューからおよそ10年にわたって小劇場を中心に活動した。
 30代になり、大手事務所を辞めたマネージャーが立ち上げた個人事務所の株式会社ORANKU(おらんく)にて、事務所所属のただ一人のタレントとして同年齢の女性マネージャーと二人三脚で映像作品を中心とした活動へ進出した。
 2011年から2012年にかけてはNHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』『平清盛』に2年連続で出演を果たし、2012年10月からはNHK連続テレビ小説『純と愛』にレギュラー出演してホテルウーマンでヒロイン・夏菜のクールな女上司、桐野富士子役を演じて話題になると、「HERO」にも抜擢された。女優として独り立ちするまでに14年間かかっている。

 他にも今では有名俳優になった方でも、なかなか芽が出なかった役者も多い。唐沢寿明、小林稔侍、高橋克巳、風間杜夫、奥田瑛二、八名信夫、故人では蟹江敬三、川谷拓三もそうだった。

 いずれも高学歴を有している方が多いことに気づく。明治や上智を中退している。この頃は一流大学を卒業するより、中退のほうがかっこよかった。そしていずれも演技派、実力派の方々ばかりだ。下積み期間が長く、苦労が多かっただけに、それだけ熱心に演技を研究した方が多いからだろうと察する。このタイトルは、お笑い芸人にはよくありがちだが、役者でも有名になるまでは時間を要した人もいる。熟練の技や味はこの時に培われたのだろう。

 記事作成:5月9日(土)~10日(日)


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