2013年、突如として俳人「松尾芭蕉」に凝ることとなった。彼が弟子の曾良を伴って江戸を出発し、みちのく路を歩いて旅し、それを編纂してまとめた紀行文「奥の細道」。私も様々な場所を訪れた際には、ツーリング日誌や紀行文という形で旅の記録を残していたことから、相通じるものがあった。若い頃は特段、関心などなかった私だが、年齢を重ね、遅まきながらこの歳になってようやく、侘寂や情緒、日本精神じみたものに興味を湧くこととなった。とりわけ震災や原発事故以降、ますます郷土愛に目覚め、自らが土着であるという境遇もあり、古の郷土史や名勝・旧跡を歴訪したいとの発想から、そこかしこを訪ね歩いた。多少なりとも以前よりも知識が蓄えられ、ものの謂れや未知の分野にも目を向ける良い契機になった。
それを着眼点とし、30年以上も前の学生時代に、自分が学校で学んだ学習内容がどんどん薄らいでいることにふと危惧を抱いた。それは日本人であるからには、知っておきたい素養であった。例えば、故事や諺。そして有名作家の文学作品と作者名、それに書き下しなどである。文豪と呼ばれる作家や小説家の有名作品であっても、それが正しく結びつかないものがあり、今更ながら自分の無学さを嘆くこととなった。この歳で無学無才も恥ずべきことなので、50の手習いではないが、もう一度過去を見つめるべく、その解決に当たりたい。
では、今回は、その手始めとして文学作品の書き下し文にスポットを当てたい。アットランダムに50選で冒頭の書き下し部分を列挙するので、もしよろしければ一緒に作品名と作者を言い当ててほしい。
1 「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」
2 「春はあけぼのやうやうしろくなりゆくやまぎわ 少し明りて 紫だちたる雲のほそくたなびきたる」
3 「徒然なるままに 日暮し硯に向いて」
4 「祇園精舎の鐘の声 諸行無常のひびきあり 盛者必衰のことわりをあらわす」
5 「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。」
6 「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。」
7 「今は昔、自然と触れ合った経験を皆様お持ちでしょう。」
8 「僕の前に道はない僕の後ろに道は出来る」
9 「石炭をば 早 ( は ) や積み果てつ。」
10「ある日の暮方の事である。」
11 「こいさん、頼むわ。―」鏡の中で、廊下からうしろへ這入って来た妙子を見ると、自分で襟を塗りかけていた刷毛(ハケ)を渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢(ジュバン)姿の、抜き衣紋(エモン)の顔を他人の顔のように見据えながら……。」
12 「私が自分の祖父のある事を知ったのは、私の母が産後の病気で死に、その後二月程経って不意に祖父が私の前に現れてきた、その時であった。」
13 「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧えつけていた。」
14 「道がつづら折りになって、いよいよ天城峠に近づいたと思う頃、雨足が杉の密林を白く染めながら、すさまじい早さで麓から私を追ってきた。」
15 「山椒魚は悲しんだ。彼は彼の棲家である岩屋から外へ出てみようとしたのであるが、頭が出口につかへて外へ出ることができなかつたのである。」
16 「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。私の生まれたのは、舞鶴から東北の、日本海へ突き出たうらさびしい岬である。」
17 「八月のある日、男が一人、行方不明になった。」
18 「後の月という時分が来ると、どうも思わずにはいられない。」
19 「四里の道は長かった。その間に青縞の市の立つ羽生の町があった。」
20 「木曽路はすべて山の中である。」
21 「武蔵野の俤(オモカゲ)は今わずかに入間郡の残れり」と自分は文政年間に出来た地図で見た事がある。」
22 「未だ宵ながら松立てる門は一様に鎖籠めて、真直ぐに長く東より西に横はれる大道は掃きたるやうに物の影を留めず、いと寂しく往来の絶えたるに、」
23 「廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝(ドブ)に灯火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらないて……。」
24 「げにや安楽の世界より 今この娑婆に示現して 我等がための観世音 仰ぐも高し。」
25 「いづれのおほん時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、いとやむごとなききはにはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり。」
26 「かくありし時過ぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世に経る人ありけり。」
27 「男もすなる日記(ニキ)といふものを女もしてみんとてするなり。」
28 「桜もちるに歎き、月はかぎりありて入佐山。」
29 「千早振る神無月ももはや跡二日の余波となッた二十八日の午後三時頃に、神田見附の内より、塗渡る蟻、散る蜘蛛の子とうようよぞよぞよ沸出でて来るのは、孰(イズ)れも顋(オトガイ)を気にし給う方々。」
30 「参謀本部編纂の地図をまた繰り開いて見るでもなかろう、と思ったけれども、あまりの道じゃから、手を触るさえ暑くるしい、旅の法衣(コロモ)の袖をかかげて、表紙を附けた折り本になっているのを引っ張り出した。」
31 「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。」
32 「このぼんやりと白い銀河を大きないい望遠鏡で見ますと、もうたくさんの小さな星に見えるのです。」
33 「おい地獄さ行
34 「岬の分校はひっそり静まっていた。薄暗い教室にはオルガンが一台、小さな二人掛けの木の机が六つ」
35 「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ。人情とはいかなるものをいふや。」
36 「この集を両君に捧ぐ。予はすでに予のすべてを両君の前に示しつくしたるものの如し。」
37 「トタンがセンベイ食べて春の日の夕暮は穏かです アンダースローされた灰が蒼ざめて春の日の夕暮は静かです」
38 「なぜ木部はかほどまで自分を侮辱するのだろう。」
39 「 市 ( いち ) 九 郎 ( ろう ) は、主人の切り込んで来る太刀を受け損じて、左の頬から顎へかけて、微傷ではあるが、一太刀受けた。」
40 「三国志は、いうまでもなく、今から約千八百年前の古典であるが、三国志の中に活躍している登場人物は、現在でも中国大陸の至る所にそのまま居るような気がする。」
41 「この汚れた世の中を正したい。 善と悪とを正したい。 私の力で、この世の中に正義をもたらしたいのだ。」
42 「その子二十櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
43 「犬は遠吠えをする。 私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひたい。」
44 「芽がつつ立つ ナイフのやうな芽が たつた一本 すつきりと蒼空につつ立つ」
45 「 真夏の宿場は空虚であった。」
46 「それらの夏の日々、一面に 薄の生い茂った草原の中で、お前が立ったまま 熱心に絵を描いていると、私はいつもその傍らの一本の白樺の木蔭に身を横たえていた ものだった。」
47 「賢一郎 おたあさん、おたねはどこへ行ったの。」
48 「不如帰が百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んで見た。」
49 「木理 美 しき 槻胴、縁には わざと赤樫を用ひたる 岩畳」
50 「ひそかに愚案を回らしてほぼ古今を勘ふるに、先師(親鸞)の口 伝の真信に異なることを歎き、後学相続の疑惑有ることを思ふに、 幸ひに有縁の知識によらずんば、いかでか易行の一門に入ることを 得んや。」
解 答
1 「奥の細道」 松尾芭蕉
2 「枕草子」 清少納言
3 「徒然草」 吉田兼好
4 「平家物語」
5 「方丈記」 鴨長明 (三大随筆のひとつ)
6 「坊ちゃん」 夏目漱石
7 「路傍の石」 山本有三
8 「道程」 高村光太郎
9 「舞姫」 森鴎外
10 「羅生門」 芥川龍之介
11 「細雪」 谷崎潤一郎
12 「暗夜行路」 志賀直哉
13 「檸檬」 梶井基次郎
14 「伊豆の踊り子」 川端康成
15 「山椒魚」 井伏鱒二
16 「金閣寺」 三島由紀夫
17 「砂の女」 安部公房
18 「野菊の墓」 伊藤左千夫
19 「田舎教師」 田山花袋
20 「夜明け前」 島崎藤村
21 「武蔵野」 国木田独歩
22 「金色夜叉」 尾崎紅葉
23 「たけくらべ」 樋口一葉
24 「曽根崎心中」 近松門左衛門
25 「源氏物語」 紫式部
26 「蜻蛉日記」 右大将道綱母
27 「土佐日記」 紀貫之
28 「好色一代男」 井原西鶴
29 「浮雲」 二葉亭四迷
30 「高野聖」 泉鏡花
31 「走れメロス」 太宰治
32 「銀河鉄道の夜」 宮沢賢治
33 「蟹工船」 小林多喜二
34 「二十四の瞳」 壺井栄
35 「小説神髄」 坪内逍遥
36 「一握の砂」 石川啄木
37 「山羊の歌」 中原中也
38 「或る女」 有島武郎
39 「恩讐の彼方に」 菊池寛
40 「三国志」 吉川英治
41 「鞍馬天狗」 大沸次郎
42 「みだれ髪」 与謝野晶子
43 「月に吠える」 萩原朔太郎
44 「抒情小曲集」 室生犀星
45 「蠅」 横光利一
46 「風立ちぬ」 堀辰雄
47 「父帰る」 菊池寛
48 「不如帰」 徳冨蘆花
49 「五重塔」 倖田露伴
50 「歎異抄」 唯円?
今回はひとりの作家につき一作品と限定させていただいた。だから他にも好きな小説は多くあるが、今回は割愛させていただいたことを予めご了承ください。その時代を代表する文豪は数多く存在するが、個人的に好きなのは、三島由紀夫で、「金閣寺」はもちろん「仮面の告白」や「潮騒」も大好きだ。自らの主義主張を貫き、非業の最期を遂げた大作家だけに、その遺作は心に直に訴えかけてくる。自らの死と引き換えに世間に訴えたかったことは何か。それを考えるだけで、そのひととなりに触れることができる。文学とは、そうした裏側に潜む作者の心理や時代背景を読み取ることで、その世界観が広がると思う。
記事作成:2013年10月~2015年1月10日(土)