以前にも似たような記事を書いたことがあった。現代がいくら最先端技術が発達していようが、この世の中は不思議なことだらけで、やたらと運が良い人もいれば、何かにつけて不運に見舞われる人もいる。これは科学では解明できない特異な現象である。
今年行われたドラフト会議もまた、ドラマがあった。かつては巨人入りを熱望しても、くじで泣く泣く他球団へ入団したり、また或る者は、頑なに意中の球団に入るために浪人生活を送ったりしている。反対に、くじという運命に身を委ねながら、強運ぶりを発揮し、すんなりと交渉権を得られた選手もいる。前者は清原和博、江川卓、元木大介などで、後者は原辰徳、松井秀喜などだ。
このように運・不運というのは目に見えないが、確かに存在している気がする。私も半世紀ほど生きながらえてきて、様々な場面(家庭・仕事・趣味・余暇など)でそれらを目の当たりにしてきた。「神の見えざる手」とまでは言わないが、人間がどう抗っても、「どの道そこに辿り着く」というか「元の鞘に収まる」ように思える。これを宿命と呼ぶのだろうが、こうした見えないものを具現化しようというのが宗教なのかもしれない。
私自身は運勢について言えば、長い経験上、明るい性格の人は運気が強く、逆に性格が暗めの人は運も離れていくように感じている。つまり、運が向くとか運が逃げるという表現だ。また、宝くじに当たる人はやはり人とは違う運気を持っている。いわゆる「何か持っている」のだ。やたらと運が良い人がいれば、何かにつけ不運続きの人がいるように思う。
では、そうした運・不運の差はどこから来るのだろうか。そのへんを自分なりに分析してみた。あくまで個人的な見解ですのであしからず。
1 宗教
世界のどこを見渡しても宗教は人間生活の根本を成しているが、こと日本人にはあまりなじみがないし、それについての意識が希薄に思える。中には宗教に嵌っている方や熱心に信仰している方もいるにはいるが、そういう方は別として、一般人の感覚では、葬式や法事のときくらいしか、身近に感じない。
しかし、外国では、信仰は日常生活に溶け込み、切っても切り離せないものとなっている。あまりに傾倒するあまり、強い信念を抱くと、他宗教との対立を生む場合がある。宗教対立は時として、紛争の火種となる。特に国土を接する欧州諸国で起きやすい。宗教を理由に紛争や戦争にまで発展するケースは決して少なくない。宗教は本来、人を救うために存在するのに、殺人の道具として使われるのは本末転倒としか言いようがない。
私が思うに、その開祖が誰であれ、その宗教に属した時点で、その人の一生分の運が宿るような気がする。いわゆる宿命だ。でも宗教は自分の意思で変更可能だとすれば、運命とも言える。その神の教えを乞い、崇拝し、やがて傾倒することになる。
この宗教、たとえば、異なる宗教同士の人間が結婚する場合、従来信仰していた宗教から、夫の宗教に変わる場合がある。ここで人間の運命が変わるのではないか。私の知り合いで、家族5人が異なる宗教を信仰している家族がいた。いわゆる新興宗教なのだが、天理教、キリスト教、踊念仏、浄土真宗、日蓮正宗、そして友人が進学した大学は曹洞宗系の大学だった。無茶苦茶で、逆に祟りとかが降りかかってきそうな印象だった。その友人は、自分だけが信仰していればなんら問題はないのだが、周囲の人間を手当たり次第に勧誘したために、総スカンを喰っていた。周囲の状況が見えなくなる独特世界が宗教であるともいえる。
2 名前の画数(姓名判断)
よく「そういう星の下に生まれている」という言い方をするが、これは生後まもなくその人の一生分の運勢が決まってしまっていることを指し示す。私は、それは親が授けてくれた名前によって、その人の運命を左右してしまうのではないかと感じている。予期せぬ事件や事故に巻き込まれて不遇の死を遂げる人もいれば、噴火や落雷、台風、地震、津波などの天災で、命を落とした方々も大勢いる。これらは一体何なのか?同じ場所にいながら、助かった人と犠牲になった方がいる。よもや神が自らの意思でいたずらに命の選別を行っているとは思えない。
私は、人によって運勢が異なるものだとしたら、生まれた時に親がつける名前の画数、いわゆる「姓名判断」にも一理あるのではないか。その実態や因果関係は不明だが、少なからず影響するのではないか。特に女性の場合は、結婚するとたいていの場合には姓が変わる。ここで運勢も切り替わる。天格(画)、外格(画)、総画などでどういう性質がその人に現れるかまでわかってしまうらしい。かつて自分の子どもに「悪魔」という名をつけようとして、役場に出生届を拒否され問題になった親もいたが、親は子供の名前を付ける時は、慎重に考えたほうが得策だろう。
3 境遇
「境遇」とは「環境」と似ていて、兄弟関係や家族関係など変更が利かない部分だ。長男であれば、そのような扱いをされながら育てられるといった具合だ。自ずとその性格まで形成されていくように思う。
「朱に染まれば赤くなる」とか「郷に入っては郷に従え」いう表現があるが、学校環境や職場環境ではそこで決められたルールに従うことになる。同じ時間を過ごすことが多くなるだけに結びつきや絆も深まるが、もし倒産した場合には運命を共にすることになる。会社ぐるみで運命が変わる。もし事故が起きれば、評判や株価も下がるだろうし、学校もまたしかり。その学校の或る生徒が成果を挙げることがあれば、十把一絡げにしてほかの生徒も同じ評価を受けることになる。「あの学校の生徒なら優秀に違いない」というケースだ。逆によからぬ事件が発生すれば、その生徒は肩身の狭い思いをする場合もある。これは運・不運では片付けられないが、こうした事象は現実的に起こり得るものである。
私は以前、不公平さを感じた出来事があった。若い同僚は、風邪を引いて仕事を休んだ際に、周囲から心配され、私が同僚から移されたインフルエンザで欠勤を余儀なくされた時には、移した張本人からもぼろくそに非難された。同じ病気でありながら、人によってこうも対応や扱いが異なるものかと落胆させられた。
4 家系
これも「3」の境遇と共通項ではある。俳優の沖田浩之や政治家の中川一郎の家系は自殺に追い込まれる家系だった。また、ケネディ一家は暗殺や事故死などに遭う不運の家系だった。これは説明のしようがない。私が思うに、ご先祖様を大切にし、常に感謝し、年数回の墓参を欠かさずに行っている家族と、墓参りにも足を運ばず、ぞんざいに扱っている家族では、運も向かない気がする。
また、同じ家に住み、同じ食事をすれば似るのは当たり前だし、一緒にいる時間が長ければ長いほど同じ考えを持つようになる。親の能力を引き継ぎ、子供も同じくらいの能力を発揮する。医者の息子は医者になる人が多いのは、医者のDNAを引き継ぎ、同じ学力を有しているからにほかならない。
5 結婚
一般的に女性は子供を生む母なる存在であり、人間を創造する源である。したがって、運勢を作り出す対象といえる。結婚後、男性が急に運気が上がって仕事で成功したり、昇進があったり、あるいはめでたい出来事が続いたり、これはいわゆる「あげまん」という現象にあたる。逆に、結婚後に悪いことが立て続けに起きることもある。悪い人間と出会ってから、人生の歯車が坂道を転げ落ちるように切り替わってしまったかのように。たとえば、アイドル歌手だった酒井法子は、不肖の旦那と出会って、薬物に手を染めた。かつての面影が無いほどの変りようだった。結婚を契機に運命や運勢が変わることは十分ありえる。人生の歯車はこうした人生の転換期で噛み合うこともあるし、狂うこともあるのだ。
6 天罰
紛争や戦争など神の意思に逆らい、人を殺めるような行為を行った者や国には、神の雷が落ちるのではないだろうか。その火種を作ってばかりいる韓国は、今年、フェリー沈没、地下鉄事故、イベント会場での落下事故など、多数の死者を出す大惨事に見舞われ、その陣頭指揮に当たった責任者や大統領までもが非難された。これは自然の理に抗ったり、非人道的な行為を行ったものは、神が許さず、天罰として神の雷が落ちるのではないか・・・。
また、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、色気を出したり、悪行を働いた途端に、神がそれを見逃さず、すかさず審判を下すように思えてしまう。
7 風水
家の間取り、水まわりの位置、玄関のある方角や方位がその家の運命を左右するという考え。本来鬼門と呼ばれる場所にあってはならないものがあると運気を下げるなど。切ったり枯らしてはならないしゅ主木を駄目にしてしまうと、一家の主に災いが起きる。また、田んぼだった場所を埋めて宅地にした場合、地鎮祭などをしないと祟りがある。地盤沈下や欠陥住宅、崖に建てた家、裏山がある家、海や川のそばにある家など危険箇所に敢えて住んでいる人は、知らず知らず凶運が忍び寄っている。
8 運の量
ひとたび良いことがあると、「それで運を使い果たした」という言い方をする。低額でも宝くじに当たった人は、「それで一生の運を使った」などと言う言葉をよく耳にする。これも不思議な考え方、一生、使える運の量があたかも決まっているような言い方だ。良いことが続くと、何か帳尻を合わせるようにドカンと大きな不幸が訪れそうな不安に苛まれる。これは神がプラスマイナスゼロで相殺されるように仕組んでいるように錯覚しているようなものの言いようだ。昔ながら「出る杭は打たれる」とか、「謙虚に」とか「自重する」とかいうような、日本人特有の戒めや教訓から出た発想なのかもしれない。
9 人相
これも占いに似ているが、人相やほくろの位置によって運が良かったり、悪かったりするという概念。大仏様のように額の中央にあるほくろは、出世を望めたり、人望を集めると言われ、かつては千昌夫がその代表だった。耳や耳たぶの大きい人は大成するという言い方もする。確かに松井秀喜や江川卓、江夏豊、高倉健は異様に耳が大きかった。
人相もまたしかり。人の人相というのは、親から譲られたものもあるが、ぱっと見るで、大概の場合、その人の性質まで感じ取ってしまう。インスピレーションとか第一印象だ。この人相は、長年培って形成されるもので、怖そうな顔つきをしている人には声をかけるのも憚りたくなる。つまり人望は薄くなる傾向。いつも難しそうな表情を浮かべている人やカリカリしている人の近くには人は寄ってこない。運も離れていく。仕事面でも協力も得られにくい。一方弱弱しくても放っておけないタイプの人間もいる。頼りなくてもどこか支えてもらえる人がいる。これは人徳ということになる。可愛らしい人を好む女性は、こうした男性を見ていられず、手を差し伸べてしまいがち。なんともうらやましい運勢だ。
10 生まれ月
星座に近い。生まれた月によって運勢が異なるという考え方。もっと枠を広げると、生まれた年も絡む。いわゆる「九星気学」による分類だ。一白水星から九紫火星まで9つのカテゴリーに分けられる。これはその年代生まれで、運勢を共にするので、あまりにも広すぎる。たとえば六白金星の人であれば、1922年から2012年まで11年分の人たちが該当してしまう。そんなに大勢の者が、その年に同じ運命を共有するかといえば、難しいと思う。
他にも体調の変化を示すバイオリズムも運勢を左右する。
11 重なる偶然の恐怖
たまたまそこに居合わせたばかりに事故に巻き込まれて命を落とした人もいれば、胸騒ぎや虫の知らせ、あるいは寝坊して一本遅い電車に乗って、危うく事故を免れた人もいる。あと10秒違っていたら、その交通事故に遭わずに助かっていた人もいる。これは運以外の何物でもない。ビルの工事や建設現場では、頭上から物が降ってくるかもしれない。クレーン車が倒れてくるかもしれない。大抵の人は、普段の生活の中で、そうした危険を予知していないし、考えも及ばない筈。偶然にそこで事故に遭遇した人は、哀れで運が悪かったとしか言いようが無い。しかし、それはまさしく「天と地」ほどの差がある。
本日のテーマで挙げたものは、目に見ないものだけに、人々に恐怖心を与えることがある。それを解消するため、あるいは見えない恐怖を和らげるために、未来を垣間見る対象物として「占い」がある。これらは特に女性に大人気で、メジャーの星座占いから、タロット、水晶、カード、花、おみくじ、天中殺、四柱推命まで様々だ。それらに救いを求め、お守りや御札が売れに売れる。また、人によってよく行われるのが「験(げん)担ぎ」だ。階段では必ず「右足から登る」とか「有名人と握手したら手を洗わない」、ここぞという時には「決まった勝負服を着る」、幸運が訪れるように赤い小物を常に携帯している、試合の前には「カツ」を食べて臨む、受験生はキットカットを食べるなど。また、ミサンガなどのおまじないや呪文もこれに当たる。これも運を味方につけようとする知恵で、プレッシャーから解放されるために、別の何かに置き換える手法。緊張を和らげるのに、手のひらに「人」と指で書いて飲む振りをするなどがそれ。見えない何かに縋るのも科学では証明がつかない人間の振る舞いである。
この記事を読んだ方はどのような感想を持ったでしょうか?単なる「気の持ちよう」でしょうか、それとも「そんなの迷信だ」と頑として受け付けないでしょうか?人間の力ではどんなに抗ってもどうしようもない事象が現実的に起こり得る以上、こうした概念や論争はいつまでもくすぶり続けるのだと思う。
最後に、宝くじで6億円が当選し、運命が切り替わった人のコメント動画をどうぞ!
記事作成:11月初旬
追記(11/26)
この日、今年の大晦日に開催される「NHK紅白歌合戦」の出場歌手が発表された。「乃木坂46」が国内所属のAKBグループから唯一選に漏れた。NHKは落選理由を公表していないが、その理由は明らか。ゆきずりの男性との路上チューや未成年メンバーの飲酒報道があり、イメージダウンを嫌うNHKらしい裁定。NHKは公共放送であるがゆえに公正明大さを求められる組織であり、第一に規律や社会規範を重んじる。紅白に限らず、出演者は、事前に審査(オーディション)を受け、品行方正で世間に認められる逸材でなければならない。特に、紅白は、ちびっ子からお年寄りまで庶民の多数が見る国民的かつ看板番組だけに、出場歌手の選出は慎重だし、この手のスキャンダラスな行動を酷く嫌う。
一般的見地から判断すれば、若い女の子がこのような振る舞いをするのは若気の至りであり、よくありがちな失敗。しかし、NHKはそうした一度や二度の過ちすら許さない。私自身、一部のメンバーの軽率な行為によって、関係のないメンバーまで辛酸を舐めるのは遺憾な処遇と思うが、高校野球がそうであるように、団体である以上は連帯責任を問われるのが日本人の規範意識なのだろう。そう言えば、民放でも、ホステス経験のある女子大生に対し、内定を取り消した措置が問題になったが、それも同じ見解だ。
ヒット曲がありながら、落選した「乃木坂46」には、捲土重来を期し、来年、再び選出されるよう頑張って欲しい。