今回のタイトルは、21世紀に活躍していないという意味ではない。20世紀に「Japanese Rock」を開拓した功労者といってよい「佐野元春」を取り上げたい。過去、当ブログで、浜田省吾、大瀧詠一、山下達郎を紹介したのに、彼だけを書き漏らすわけにはいかないからだ。
彼は1956年東京生まれ。血液型はB。1980年3月21日、シングル「アンジェリーナ」で歌手デビュー。邦楽の価値観を一変させた伝説的アーティスト。詩人としてのメッセージを内包した歌詞、多様なリズムとアレンジ、ラップやスポークン・ワードなどの新しい手法を実践し、さまざまなジャンルの音楽を折衷させた曲を数多く発表して作品の商業的ヒットに関係なく高い評価を得ている。「サムデイ」、「ガラスのジェネレーション」、「約束の橋」など、ヒット多数。1992年、アルバム「スイート16」で、日本レコード大賞アルバム部門を受賞。活動は音楽だけにとどまらず、DJ、雑誌編集など多岐に及び、広い世代に渡って影響力が大きい。
それでは私が好きな曲をお送りしたいと思う。ただし、リンクした「YouTube」映像は予告なく削除される場合があることを予めご了承ください。
1位 「SOMEDAY」
1981年発売のシングルとして発売された。発売当時チャート84位とセールス的に振るわなかったが、翌年同名のアルバムがヒットしたこともあり代表作の一つとなった。当初は1981年2月発売の2ndアルバム『Heart Beat』に収録予定で、楽曲はほぼ完成していたが、歌詞の一部にしっくりこない部分があって、『Heart Beat』収録に間に合わず、同年の6月にシングルと してリリースされた。
この曲は、1990年JR東海「ファイト!エクスプレス」のCMソングに採用され、ジャケットを変更して8cmシングル化。1990年代には『CREA』誌の音楽特集で歴代2位にランクされ、21世紀に入ってもCMや映画の挿入歌で使用されるなど息の長い人気曲となっている。
上は旅立ちをテーマにし、一世を風靡したCM。私にとっても思い出深い曲で、20代の頃のカラオケの十八番ソングだった。
2位 「ガラスのジェネレーション」
佐野元春の2作目のシングル。1980年10月21日にEPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)から発売された。アレンジは佐野と伊藤銀次が共同で手掛けている。
1993年夏にサッポロビール、吟仕込生ビールのCMソングに起用された。
3位 「Young bloods」
15枚目のシングル。1985年2月1日にEPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)から発売された。国際青年年のテーマソングに選ばれてNHKで繰り返しスポットが流されたこともあり、最高位7位と佐野にとって初のトップ10入り作品となった。また、印税をアフリカ難民救済のチャリティーとして寄付するなど話題を呼んだ。渡米期間中に起こったMTVの人気に影響を受け、早朝の代々木公園で演奏するPVを制作した。
4位 「約束の橋」
22枚目のシングル。1989年4月21日発売。1992年10月28日に再レコーディングされリリースされた。アルバム『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』の先行シングル。当時スランプに陥っていた自身を励ますために書かれた。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』に収録されたバージョンと基本的に同じであるが、曲冒頭のカウントがカットされている。
オリジナルバージョンは、最高順位20位、売り上げは約4万枚と及第点だったが、1992年にTVドラマ『二十歳の約束』の主題歌となったためボーカルなどをレコーディングし直して再リリースされ、最高位4位を記録。トップ3には入らなかったものの、70万枚以上を売り上げて佐野にとって最大のヒット曲となり、同年に発表されたアルバム『Sweet16』『No Damage II (GREATEST HITS 84-92)』とともに新規ファンの獲得に大いに貢献した。
5位 「アンジェリーナ」
佐野元春のデビューシングル。1980年3月21日にEPIC・ソニー(現:エピックレコードジャパン)から発売された。同年4月7日から始まった音楽番組『ファイティング80's』(TVK)のレギュラーに抜擢される(デビュー後の初ライブはこの番組で、日本電子工学院ホールにて収録)。同年4月21日にアルバム『BACK TO THE STREET』を発表。6月から横浜舶来屋で定期的に、7月からルイードで月一で『ファイティング80's』のバックバンドとともにライブを始める。
山下達郎が明治大学なら、彼は立教大学出身。サザンの桑田が青山学院大学、大瀧詠一が早稲田大学出身だったように、この頃のミュージシャンはカレッジフォークに影響を受けたのか、皆、高学歴だ。
不思議なことにB型の彼は、同じB型にかなりの影響を受け、また感銘を与えた。坂本龍一と吉川晃司、尾崎豊だ。B型のロック好き、音楽と車好きという共通性はここでも証明された。人と同じことをするのを嫌い、わが道を突き進むのがB型の真骨頂だ。だから学生時代は規則など固定概念を嫌い、とことん反発し、その個性を発揮しようとするのだろう。早熟と呼ばれるのも「右倣え」ではなく、自分スタイルやマイペースを貫き、天然で天賦の才能が備わっているからにほかならない。
B型のアーチストは、ロックを歌わせたら右に出る者はいない。矢沢永吉、山下達郎、布袋寅泰などがそうだが、パフォーマンスに嫌味やわざとらしさがない。観客も乗りやすい。これは才能であって、自然の成り行きなのだと思う。
記事作成:10月27日(月)