1977年(昭和52年)は、私には思い出深い年となった。私が中1になったこともあり、ニューミュージックブームが沸き起こり、BCLが流行り、私生活では深夜放送を聴いていた。ピンクレディーが世の中を席巻し、山口百恵もアイドルの座をほしいままにしていた。夏に第1回目の「24時間テレビ」が放送され、「アメリカ横断ウルトラクイズ」が華々しく開始し、夏目雅子が三蔵法師に扮した「西遊記」も大人気となった。王貞治が世界新記録を樹立し、756号ブームも秋には沸き起こった。
私が兄と二人で東京を訪ね、この年で無くなる「日劇」の円形劇場のレアな建物と、「オールナイトニッポン」の電波の発信地「ニッポン放送」の社屋を見る目的で有楽町に行ったことも記憶に残っている。映画では「スターウォーズ」の記念すべき第一作目が封切りとなり、映画館は立ち見の大盛況。そして「インベーダーゲーム」が大流行した。何か時代を勢いを感じる年まわりとなった。
そんな1977年の夏、更に有名な一本の映画が公開され、世の女性を魅了した。それはジョントラボルタ主演の「サタデー・ナイトフィーバー」だった。それは「未知との遭遇」や「スターウォーズ」と並んで興行収入を稼ぎまくった超大作だった。ディスコサウンドをふんだんに取り入れ、空前のディスコブームを起こした。ご承知のように、当時の日本は、週休2日制ではなく、土曜日は半ドンだったが、アメリカは土日の週末にダンスパーティーやホームパーティーを行う習慣があった。土曜日の深夜は、若者を中心に、時間を忘れて朝まで踊り明かすのが習わしだった。それをテーマにし、激しく妖しい腰つきと派手なポーズを決めながら踊り狂うというもので、ジョントラボルタは、プレスリーの再来を彷彿させる風貌で颯爽とスクリーンに登場し、バリバリ決めたリーゼントヘアーとスーツにエナメル靴スタイルで踊り、当時のディスコティックファッションを築き上げた。
そのスクリーンミュージックや一連のテーマ曲を歌ったのが、今回取り上げる「THE BEE GEES」だった。3人組の彼らは、甲高い裏声(ファルセット)を駆使し、アップテンポで独特なメロディを奏でたのだった。ではプロフィールと彼らが残した名曲を5曲紹介しよう。
~ Bee Gees ~
英国王領マン島生まれのイギリス人の三人兄弟を中心に構成された、男性ボーカルグループ。1963年にオーストラリアよりレコードデビューし、1973年からは米国を中心に活動。1955年から息の長い活動を続け、「Massachusetts」「Holiday」「How Deep Is Your Love」「Stayin' Alive」「Night Fever」など、数多くのヒット曲を発表した。
不幸にも2003年に三男のモーリス・ギブが、次男のロビン・ギブが2012年5月に病死し、ファンが願ったグループによる活動は終止符が打たれた。
1 Night Fever (恋のナイトフィーバー)
https://www.youtube.com/watch?v=-ihs-vT9T3Q
(1978年) - 全米1位, 米R&B8位, 全英1位
この映画の「トラボルタ」の風貌や決めポーズ、映画に使われたディスコ・ミュージックが世界的に人気になり、ディスコ文化を取り巻くファッションやサブカルチャーといった世界の若者文化に大きな影響を与えた。映画のサウンドトラック「サタデー・ナイト・フィーバー」は驚異的な売上を記録し、なかでも作中でBillboard Hot 100 1位6曲を含む7曲を提供したビージーズはその人気を不動のものにした。
2 Stayin' Alive
メンバーのギブ三兄弟が制作し、映画『サタデー・ナイト・フィーバーのサウンドトラック』から2作目のリカット・シングルとして、1977年12月13日に発売された。
1978年2月4日から、全米シングルチャートで4週連続1位を記録した(1978年) - 全米1位, 米R&B4位, 全英4位 - 日本ではホンダ・オデッセイのCMソング(2008年~)に使われている。
3 You should be dancing
(1976年) - 全米1位, 米R&B4位, 全英5位
4 How Deep Is Your Love (愛はきらめきの中に)
1977年にリリースされたビー・ジーズのシングル曲。ジョン・バダム監督の映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に、「ステイン・アライヴ (Stayin' Alive)」、「恋のナイト・フィーヴァー (Night Fever)」(ともにビー・ジーズ)、「アイ・キャント・ハヴ・ユー(If I Can't Have You)」(イヴォンヌ・エリマン (Yvonne Elliman))とともに起用された。UKチャートでは3位が最高、アメリカのビルボードチャートは、同年のクリスマスイヴに1位をマークし、トップ10にも17週間とどまった。ビルボード誌1978年年間ランキングは第6位。
5 First of May (若葉の頃)
ビージーズがバリー・ギブのリード・ボーカルでレコーディングし、1969年のダブル・アルバム『Odessa』に収録され、シングル盤としても発売された楽曲。シングル盤のB面は、ロビン・ギブがリードを歌う「ランプライト (Lamplight)」だった。「
その他の名曲
Massachusetts https://www.youtube.com/watch?v=4XWYefe9EzI
Words https://www.youtube.com/watch?v=M92QzPjgbag
彼らの名曲に触れるとどこか郷愁を誘うし、懐かしさが漂う。それは1960年代後半から70年代に活躍した彼らの影響を受け、あるいは感化され、見よう見まねで楽曲を手本として日本のミュージシャンが出て来たからだ。同じような様な旋律やメロディーが数多く世に出たからだ。現在60歳くらいの日本の音楽家やシンガーはその影響を受けていることは言うに及ばない。アップテンポで激しい曲調は、当時の「ゴーゴーダンス」から「ディスコサウンド」へと画期的に革命をもたらした。
記事作成:7月21日(月)