~はじめに~
今回の記事は、郷里の行く末を案ずるあまりの強烈な意見や批判的な内容も含まれております。一個人の独り言、いや戯言と割り切ってご覧いただきたいと思います。
今秋11月に、我が福島県は県知事選挙を控えているが、8月の声を聞いても、いまだに現職を含め、誰も立候補を示さないという異常事態が続いている。原発の対応が後手後手に回り、堂々と国に物申す政治家が少ない中、被災者たちが一向に進まぬ地元帰還や復興に苛立ちと不満が募った。その怒りの矛先が政治不信を強め、震災後に行われた各市町村の首長選挙では、反旗を翻し、現職が相次いで敗れるという大波乱を招いたのは周知のところだ。
今回、現職である佐藤雄平知事ですら自らの進退を明らかにしないのは、2期8年の県政に対する有権者の評価や旗色を窺っているためで、もとからこうした消極姿勢の知事に、震災の処理や復興の陣頭指揮などできるわけがない。私は、現知事が2期8年の総括を自らが丹念に検証し、潔く勇退を表明すべきだと考える。そうすれば、これまで歩んできた政治家としての半生に傷もつかず、県知事としての職務を全うした功労者として、勲章のひとつでも貰い、平穏な余生が送れるだろう。
しかし、進退についての重大な決意も表明できず、態度を決めかねているのは、やはり後継者が育たず、自分に代わる適任者の台頭がないからで、みすみす負け戦になるくらいなら、出馬を辞退する腹は固まっているのだろうが、逆にそうした人材が未だに見えてこないがために政治的決断を鈍らせているのにほかならないし、ことここに至っても腹をくくれずにいるいう印象は否めない。
確かに、佐藤雄平知事は「誠実」を絵に描いたような人物で、人柄もよく、強いリーダーシップや指導力は発揮できなかったものの、温厚な調整型の知事として周囲のウケも良かったと容易に想像がつく。しかしながら、県民が震災で被った甚大な被害に対する賠償の請求やいわれなき風評被害に対して、県民を命がけで擁護するような姿勢は微塵も感じられなかった。しかも震災の前年に、前知事の佐藤栄佐久氏が断固受け入れを拒否した「プルサーマル発電」を条件付きで受け入れることを正式に議会で表明した。
その翌年、震災による津波の被害を受け、「全電源喪失」、「制御不能」、「メルトダウン」、「水蒸気爆発」、「放射性物質の大量拡散」、「海洋汚染」、「住民避難」という非常事態を招き、最悪のシナリオが現実のものとなった。危急存亡の際の対処方法も持ち合わせず、正々堂々と国に物申すわけでもなく、言葉は悪いが、あたかも「YESマン」のごとく、国の方針に黙って従い、差し障りのないおとなしい県政に終始した印象がある。
佐藤雄平現知事(写真左)と佐藤栄佐久前知事(写真右)
私は、前知事であった佐藤栄佐久氏こそ、真のリーダーで、県知事に適任だと考えてやまない。されど、ご承知のように、土地売買に絡み、あらぬ収賄容疑をかけられ、先刻、有罪が確定する身の上となってしまった。これこそ県民にとっては相当の痛手であり、重要な人物を福島県は失ったと断言できる。突然の逮捕劇に至るまでの彼の功績は福島県の歴代知事の中でも群を抜くものであった。まず全国知事会の副会長に就任し、国との太いパイプを構築し、予算獲得の面でも毎年辣腕を振るった。また、在任時に様々な革新的な政治を執行した。「福島空港開港」や「うつくしま未来博の開催」、「福島国体の成功」、「トライアングルハイウェイ構想」や「森に沈む都市」を提唱し、石原都知事の猛反対に遭い、あと一歩のところで「首都機能移転実現」は果たせなかったものの、佐藤栄佐久前知事の4期16年近い福島県政への尽力や貢献度は、大いに賞賛されるべきものであったし、彼が残した政治的功績はあまりにも大きい。
また、彼は、知事在職中に「東京電力」とはとことん対立した。これまで幾度も小規模の異常や事故が確認されていたにもかかわらず、県にはDATAを改ざんした虚偽の報告まで行い、前知事はこうしたぞんざいな対応をしてきた「東電」に対し、相当の不信感を持っていた。ゆえに、東京電力が要望した「プルサーマル発電計画」には頑として首を縦に振らなかった。東京電力の相次ぐ不祥事に、不快感を顕わにし、全面対決の様相を来たすほどだった。おそらくは、汚職(私は濡れ衣と信じてやまないが)を理由に彼が逮捕された時に、一番ほくそ笑んだのは誰あろう「東電」だったに違いない。
それにもまして失望したのは、当時の県議会で、現職知事の逮捕を受け、断固無罪を主張していた知事の事件の真偽や公判も待たずに、県会議員団の一方的に解職請求を議会に提出した。彼のこれまでの功績を差し置いて「汚職」と断定するなど、手のひらを返したような仕打ちをしたことだった。
私は、政治家が長期政権の座に収まり、頂点に君臨すると、各業界との癒着やねたみが付き纏うものだと考えている。恐らくは、彼に反感を持つ団体や個人が、作為的にハニートラップを仕掛け、それが弟裕二氏を介して見事に嵌ってしまったと推測している。
もし彼が現在も県知事でいてくれたら、よもやここまで復興が遅れてはいなかったと確信している。事故責任の所在を明確にし、とことん追及し、復旧や復興にむけた準備を官民一体となって取り組んでいたに違いないと思う。まこと偉大な政治家を失った福島県の損失は大きいとしか言いようがない。
https://www.youtube.com/watch?v=fW8t8Fz_Ihs
そこで、リーダー不在の未来永劫を案じ、我が福島県の将来を誰に託すのかという視点で話を進めたい。救世主となりえるのは、強いリーダーシップを発揮できる器の大きい人物ということになる。現在の県会議員には、それだけの覚悟と知識を持ち合わせる方は見当たらない。福島県の未来を心のそこから案じ、自らが積極姿勢で立ち上がろうとする強い信念を持ち合わせている人材は、残念ながら皆無である。無論、最高裁で有罪が確定し、失職した佐藤栄佐久氏は、現行の公職選挙法の規定では再出馬は認められていない。とすればいったい誰が福島県を救えるというだろうか。果たして救世主(メシア)は現れるのだろうか。
今や福島県の地場産業は風前の灯である。震災年の12月に、無責任にも時の野田首相は、突如全世界に「原発事故収束宣言」を発した。何を根拠にそんな愚行が成せるのか。国民を騙す虚構が罷り通った結果、未だに福島県民の苦悩は消えない。その後も、終わりが見えない「汚染水漏洩問題」が相次いで起き、水産業の本格的な再始動は先送り。シラス、メヒカリ、ヒラメ、アンコウなどの福島県の特産物は、海洋汚染の余波で漁は制限、あるいは中止されたまま。黒潮と親潮がぶつかることで有名な豊富な漁場である小名浜沖のカジキマグロ漁も再開されず。
一方、福島県のもうひとつの売りだった農業はいっそう窮地に立たされている。厳しい放射能検査や品質検査を実施し、セシウムが検出されなくても、福島県産米というだけで、風評被害の悪影響で値が下がり、野菜すらも出荷制限される有様。食肉加工業界もまた然り。今でも出口が見えない。
外国から日本を見れば、「広島・長崎・福島」の合言葉が一般的に常態化し、「福島=チェルノブイリ」と同等の「深刻度レベル7」に認定。「汚染地帯」という悪いイメージさえ付き纏っている。ひょっとすると、今、日本で一番有名な場所が「福島」なのかもしれない。
断っておくが、我が福島県は、大自然に囲まれた緑豊かな大地で、会津の広大な穀倉地帯で育まれたお米、清冽な自然水で醸した地酒は天下一品。豊かな太平洋で漁れる魚はどれも一級品だった。福島第一原発事故がその「豊かな福島」を一変させた張本人なのだ。
このままでは、福島県は廃れる一方で、何かしらの打開策を自らの手で見出さないと明るい未来はない。したがって、11月に行われる県知事選は、最大の関心事であることは間違いないのだ。福島県民は、このことを真摯に受け止め、次期リーダーを選ぶ大切な選挙になることを認識してもらいたいのだ。「対岸の火事」とか「他人に芝生」という発想は絶対にあってはならない。
そこで私は絵空事と思われようが、愛する福島県を救う手立てになるのならと考え、大方の批判を覚悟した上で、大胆な仮説を立て、独自に予想をしてみたい。やや高見の見物的な発想で無責任な見解かもしれないが、あながち100%不可能ではない。
1 佐藤雄平知事の再出馬説(実現可能性20%)
有力な対抗馬が見当たらない以上、まこと遺憾だが、今のところ大本命と言わざるを得ない。しかし、冷静に考えれば、これまでの彼の県政を回顧する限り、百歩譲って運よく「無投票当選」を果たし、3期目に突入したところで、旧態依然の政治手法では、復興への明るい兆しは見えない。発言力が乏しく、国への強い要求もなく、今以上の進展は望めそうにない。
次に、もしも佐藤雄平氏が再出馬を断念するとして、現在の県議会議員にめぼしい人材がいないことを考えれば、外部の著名な政治家を招聘し、強いリーダーシップの下で、その政治手法や手腕に委ねる公算も出てこよう。
では、現実的にはまずありえないが、「一寸先は闇」の現代の政治の世界において、必ずしも可能性ゼロではないことを信じて、あえて希望的観測も含めて候補者を列挙してみたい。過去に、田中康夫が長野県知事に、森田健作が千葉県知事に、橋下徹が大阪府知事に就任した前例もあるので、あながち不可能とは言い切れない。
2 小泉純一郎の仰天出馬説(可能性5%)
現在、確固たる政治信念に基づいて、「原子力発電」に代わる代替エネルギーを訴えている元首相なら、あれほどの事故を経験していながら、いっこうに変わらぬ国の「原発依存体質」に業を煮やし、自らが範を示すべく、現地に乗り込んで、自らの政治信条をアピールし、「脱原発」の強い政治姿勢で県政を断行する気構えは十分あると思っている。したがって、機が熟し、出方によっては彼自身が英断をする可能性もなくはない。
とりわけ知名度抜群で、歴代首相の中でも空前の人気と長期政権を担い、栄華を誇った首相経験者が県知事選挙に出馬するなど前代未聞だが、「郵政民営化」や「靖国参拝」を断行するなど、在職当時からなりふり構わぬ大胆行動で、周囲の度肝を抜き、人気をさらってきた小泉氏ならば、こうしたサプライズ出馬もなきにしもあらず。実現すれば、福島県民は大手を振って彼を迎え入れることになろう。しかも、元首相自らが乗り込んで、「原発処理」と復興に向けた陣頭指揮をとるとなれば、マスコミや国民の注目を浴びることはもちろん、福島県の復興に追い風(ある意味、暴風、いや台風の目)になることは火を見るより明らかだ。マジで面白い展開になる。
3 細川護煕の鞍替え出馬説(小泉元首相が応援)(実現可能性10%)
小泉氏とタッグを組んで「東京都知事選」に出馬した経緯を考えれば、リベンジとばかり「脱原発」を訴え、元首相同士が再び強力なスクラムを組んで再び出馬も考えられよう。「東京の仇を福島で討つ」的な発想も興味深く、マスコミが食いつきそうなネタだ。
万が一福島県知事に就任すれば、首相在任時の経験を生かして、内側から福島県民の苦悩を代弁して実情を訴えることもでき、彼が目指す「脱原発」や「代替エネルギー転換」にもより説得力が増す。
他の政治家や自民党内に影響力のある小泉氏の強いバックアップがあれば、現政権とも臆せずに渡り歩けるし、自らの持論や正論を具現化できるチャンスである。彼らの豊富な経験に基づく信念を青写真や絵図面のまま終わらせてはならない。彼らがもし、強い信念があって、福島の将来を案じ、県民のために頑張りたいというのなら、県民は大歓迎するに違いない。また、彼が県知事になれば、後ろ盾の小泉氏の影が絶えずちらつき、若い自民党議員や東電幹部には相当の脅威になるに違いない。
4 玄葉光一郎氏の出馬説(実現可能性10%)
現在、分裂気味の民主党にあって、党内の要職に就く彼には、難しい決断を迫られる。私は彼の幼馴染であり、私の亡き祖父が政治家だったこともあり、その義父である佐藤栄佐久氏が参議院議員の頃から懇意にさせてもらっていた間柄だし、現在も親交がある身なので、あまり多くは語れないが、彼が党の分裂に嫌気が差し、福島県の復興に強い意欲を示すことがなければ絵に描いた餅で終わってしまうだろう。
やはり、人情や義理に厚い彼の性格からして、同志を裏切って、県知事の座にやすやすと収まるとは到底考えていない。まして義父の栄佐久氏があのようにして県政を追われた状況を考えれば、まずそれはないだろう。もし、出馬するならば、それ相応の大義名分が必要で、故郷の行く末を危惧する彼の個人的な発想では埒が明かないだろうし、その理由による決断では弱い気がする。ましてまおさら周囲は承服しかねるだろう。
5 小泉進次郎氏のサプライズ出馬説(可能性10%)
現在、自民党の復興担当大臣政務官として、福島県を何度も訪れ、県民とは太い絆にも似たパイプがある。福島県民の「痛み」を誰よりも理解している。小泉純一郎氏もまたこの動きも念頭にいれていると聞く。若き彼が当選し、知事となれば、話題沸騰。連日彼の一挙手一投足に好奇の目が注がれ、福島県が再び注目を浴びるのは必至。個人的には、若い力に期待したい部分が大きい。しかし、小泉氏本人が、何の縁もゆかりもない特定の県の知事に立候補するとは考えにくい。その場合には、父親の強い説得があってこその翻意ということしか望めない状況だ。小泉純一郎が、自らの野心を息子に託すことは考えにくい。
6 東国原英夫氏の電撃出馬説(可能性5%)
知名度は抜群だし、郷里の宮崎県知事としての実績は申し分ない。自らが宣伝役を買って出て、地元産品のPRを担当し、宮崎の物産品や観光収入に莫大な貢献を果たした。そんな彼が、何のゆかりもない福島県のために、粉骨砕身でその力を貸してくれるとは考えにくい。
7 田母神俊雄氏の決意の出馬説(可能性10%)
地元郡山市出身の彼なら、候補者として選挙戦に立っても不思議ではない。防衛省幹部として第6航空団司令、統合幕僚学校長、航空総隊司令官主要ポストを歴任し、航空幕僚長を務めるなど長年に渡ってトップの座に君臨。2008年10月31日、自身の論文にて集団的自衛権の行使を日本国憲法違反とする政府見解や、1995年8月15日発表の村山談話と異なる主張をしたことなどが問題視され、航空幕僚長の職を解かれ航空幕僚監部付に降格したが、彼ほどの人物なら政治にも明るいし、やや左よりだが、強いリーダーシップを発揮することが見込まれるため適任。現に、2014年1月7日、猪瀬直樹東京都知事の辞職に伴い行われた東京都知事選に立候補している。残念ながら、61万865票を集めるも、全立候補者16人中4位の得票数に終わり落選。政治家としての強い信念はゆるぎないものであり、その意欲を福島県のために、一肌脱いでもらいたいものだ。
8 現在の県議会議員からの出馬説(可能性25%)
こちらは残念ながら、適切な人材は見当たらない。現県会議員の誰が出ても対抗馬の本命にはなりえない。表立った政策も見えず、現状打破は不可能。されど福島県に愛着があって、県選出の議員であることを考えれば、誰もが震災以降の県政運営には首をかしげ、不満を持っていたはず。しかし、自らがその重責を負い、復興実現という重い政治課題を解決しようとする気骨のある政治家は皆無だ。あえて「火中の栗を拾う」真の政治家などいない。県内の各政党も、めぼしい候補者を擁立できず、手をこまねいている。このままでは、与野党相乗りの、旧態依然、現状維持の県政しか執行できないだろう。
しかし、それでも本人の意向とは裏腹に、党の方針に逆らえず、推薦されて出馬する「無気力議員」が出る可能性はある。現県議会議員で、誠実な人柄で穏健な県政運営を担ってきた現知事を蹴落とす気概のある政治家は不在ということだ。
それでも可能性25%としたのは、現知事が「勇退」を英断する可能性も残されていることから、その場しのぎの付け焼刃的な発想で、所属党や会派から推挙され、棚ボタ式で当選してしまう事態もあり得るからだ。
9 地元出身の芸能人が意表を突く電撃出馬(可能性5%)
タレントやスポーツアスリートから転身して国会議員や県知事になった人も大勢いる。前述した方々を除いても、作家だった石原慎太郎、青島幸男、芸人だった横山ノック、プリティ長嶋、弁護士だった橋下徹、スポーツアスリートだった馳浩、橋本聖子、堀井学、松野明美、アントニオ猪木、荻原健治、谷亮子、俳優・女優やタレント出身の淡島千景、横光克彦、三原順子、そのまんま東、アナウンサー出身の丸川珠代、グラビアモデルだった蓮舫、塩村文夏など、いまや「日本国民総政治家時代」といえるほどの「素人政治家」が横行している。著名人というもの珍しさだけで集票し、政治家になれてしまう民度の低さは嘆かわしい。
しかし、候補者がいないとなれば話は別。福島県出身の芸能人や文化人が、郷土を愁い、電撃出馬もありえないわけではない。その場合誰が?我が同級生で今をときめくクリエイティブ・ディレクターの「箭内道彦」?あるいは「西田敏行」?「佐藤B作」?それとも「加藤茶」?「江川卓」?
政治の「せ」の字も知らない者が、政界に首を突っ込むなど甚だ常識はずれだが、その常識はずれが堂々と罷り通って来たのもまた政治の世界なのだ。「失政」と罵られても気概がある方になって貰いたい。
さて、あることないこと気侭に書きたててしまったが、我が福島県が原発事故や震災からの復興が立ち遅れている理由の一端を感じ取ってもらえたと思う。民間レベルでは、テレビを通じ、ボランティアや義捐金など支援体制が充実しているが、国レベルは対策が一向に進んでいない。官民一体とは程遠い状態なのだ。その証拠が今回の選挙への意識の希薄さなのだ。県の代表者を選ぶ重要な選挙において、未だに誰も「自分が何とかする」と手を挙げる勇猛果敢な政治家がいないという情けない現実がある。美辞麗句を並べることはたやすいが、それを断行する者は、我が福島県には乏しいということだ。政治家を志した以上、自らの政治信念をもういちど見直してほしいものだ。政治を志した頃に立ち返り、原点回帰してほしい。「日和見主義」や「ことなかれ主義」ではなく、強いリーダーが今こそ福島県には必要なのだ。
一方、我々県民は、新しい福島県の舵取りを誰に託すかを決断するきわめて重要な選挙であり、私たちが投じる票は、重大な一票になることを認識し、積極的な政治参加を期待したい。
本日の記事は、アップの前日にしたためたできたてホヤホヤの最新情報満載のもので、すでに8月末まで完成している記事を急遽差し替えてお送りしました。それだけ急を要する事態にあることを他県の方々にも理解していただきたかったし、大げさに言えば、福島の命運を握る、今秋の選挙戦の行方に注目してほしかった。
記載した内容そのものは、大それた予測かもしれないが、その大部分は希望的観測でもある。私を含む、多くの県民感情を代弁していることも無きにしも非ずという点を決して忘れて欲しくはない。
記事作成:8月4日(月)