今日は、1980年代に一時代を築き、鮮やかにミュージックシーンを彩ったアイドルバンド「ザ・チェッカーズ」について取り上げたい。私が高校3年から大学生の時代に華々しく活躍した彼ら。文字通り「チェック柄」の彩鮮やかな衣装に身を包み、ボーカルのフミヤの髪形を真似して、前髪を垂らしたショートカット(サイド刈り上げ)スタイルが女子高生を中心に大流行した。曲調は、当時は斬新なライトポップだった。カルチャークラブを彷彿させるような出で立ちと楽曲スタイルだった。今日は、私の青春時代にあって、彼らの楽曲に出会い、励まされた存在として、私が特に好きだった曲をショートエピソードを交えて紹介したい。
THE CHECKERS(ザ・チェッカーズ)
音楽の聖地、福岡県久留米出身の7人組のバンド。デビュー当時はチェック柄の衣裳を身にまとい、前列の3人(藤井郁弥、鶴久政治、高杢禎彦)がボーカル&コーラス&ダンス担当、後列の4人(藤井尚之・大土井裕二・クロベエ・武内享)が音楽担当。リーダーの武内がO型、ベースの服リーダー大土井がB型で、残り5人がA型という構成。1980年代の彗星の如く登場し、リリースする曲がベストテンで1位を獲得する大ヒットとなった。歌番組の常連だった。
第1位 「あの娘とスキャンダル」
http://www.youtube.com/watch?v=wjASdzKyhV4
1985年3月21日発売。この年の年間5位。「夕やけニャンニャ」ンのオープニングとして使われ、チェック柄のタヌキ(映画TANTANたぬき)をモチーフにしたアニメ映像が、女子中高生に人気が出て、大ブレイクした。
第2位 「涙のリクエスト」
1984年1月21日発売の2枚目のシングル。この曲の大ヒット(ザベストテン第1位獲得)で、人気&実力を不動のものとした。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。以後このコンビによる楽曲提供が続きこととなった。1984年度年間4位(オリコン)。
第3位 「Song for USA」
1986年6月5日発売の11枚目のシングル。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。
東宝映画「SONG FOR U.S.A」主題歌。1986年度年間11位(オリコン)。
どうみてもこの時期に大流行した「USA for Africa」のパクリ。アメリカンドリームに憧れて、海を渡った友達を想って作った一曲。私は、バイクで房総半島を一人旅していた時に、ヘルメットのシールド越しに聴いていた思い出深い一曲。銚子駅の前で寝袋にくるまり、一夜を明かした時も、イヤホンで流したし、翌日の早朝、犬吠埼の燈台の下で、朝日に撃たれながらこの曲を耳にした時には、生きていることを心底実感できた気がした。学生時代に夢中になっていた浜田省吾や洋楽と同様に、この曲にも思い入れは一入だ。
第4位 「星屑のステージ」
1984年8月23日に発売された4枚目のシングル。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。1984年度年間8位(オリコン)
第5位 「OH!POPSTAR」
1986年2月21日発売の10枚目のシングル。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。
東宝映画「タッチ 背番号のないエース」挿入歌。1986年度年間9位(オリコン)。
やはり当時一世を風靡した80年代洋楽を意識した楽曲。カルチャークラブとか「ラジオスターの悲劇」に近い印象。
第6位 「I Love you, SAYONARA」
1987年3月5日発売の12枚目のシングル。やや人気にも翳りが見え始めた頃に巻き返しの一発だった。作詞:藤井郁弥、作曲:大土井裕二、編曲:THE CHECKERS FAM。
セイコー アベニューCMソングで1987年度年間15位(オリコン)。
第7位 「ギザギザハートの子守歌」
1983年9月21日発売の彼らのデビュー曲。この楽曲を引っ提げて衝撃のデビューを飾った。作詞:康珍化、作曲・編曲:芹澤廣明。1984年度年間20位(オリコン)。「仲間がバイクで死んだのさ」とか歌詞も大反響を呼んだ。
第8位 「ジュリアに傷心」
1984年11月21日発売。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。1985年度年間1位(オリコン)彼らの音楽の生命線であったフミヤの弟・尚之のサックスが前面的に押し出されたジャズを意識した曲調。
第9位「哀しくてジェラシー」
1984年5月1日。作詞:売野雅勇、作曲・編曲:芹澤廣明。1984年度年間5位(オリコン)
イントロ部分のサックスが小気味よく響き渡る珠玉の一曲。
第10位 「神様ヘルプ!」
1985年11月1日発売。作詞:康珍化、作曲・編曲:芹澤廣明。1985年度年間44位(オリコン)。
彼らの楽曲のテーマは、志半ばで死んだ仲間へのレクイエムがなぜか多かった。同じように、若世代の越えられない夢や葛藤、障壁、そして仲間意識や絆といったものがモチーフになっていた。時期的には、社会の権力に対する反骨精神も主張していた。それらが当時の若者たちの思想観や世相観とマッチングしていた。彼らは若者たちの気持ちの代弁者的なステータスを確立していたと思う。そしてバンドメンバーと前列の歌とダンスメンバーというように役割がはっきりしていた。 ご存知のように、チェッカーズは、フミヤを中心とした主流派と高杢と鶴久の反主流派との仲たがいがあって、そこからすれ違い、致命的な破局となった感がある。要は仲間割れでの泥沼解散なので、関係修復はまず不可能で、未だに多くのファンが再結成を望んでいるのに、実現に至っていない。かなり事態は深刻だったようだ。したがって、もはや伝説のバンドになった感が強いので、敢えて今回のテーマに加えてお送りしてしまったが、私自身は、一日も早く和解し、また素晴らしい楽曲を世に提供してほしいというのが本音だ。きっとまたいつか、彼らが同じステージで、懐かしの80年代ポップスを奏で、踊っている姿を心待ちにしつつ、この記事を結びたい。
記事作成:2月21日(金)