パクリと言えば中国や韓国の専売特許のところがあるが、意外にも日本人が外国文化を模倣し、パクッたのではないかと疑念を抱くものがあるのをご存知だろうか。
日本人は食文化を始め外国文化を独自に日本風味にアレンジし、日本人に合ったものに作りかえる天才だと思える節がある。例えば中国料理を日本人の舌や好みに合わせた中華料理が好例だ。そして冷やし中華などを新たに開発したのは周知のところだ。
では、真相はわからないもののほかに日本人が真似したと思われるものを列挙したい。
1 GSブーム
イギリスのロックバンド「ザ・ビートルズ」が欧米を席巻した1960年代。1966年に日本に来日して武道館公演をしたのは革命的な出来事だったが、それを模倣して、次々とロックバンドが登場したのが俗に言うGS(グループサウンズ)ブーム。ビートルズサウンドをパクッたようなオリジナリティに欠ける音楽が日本中を席巻した。動物や昆虫を真似ただけの付け焼刃的なグループ名で、ブームに乗っかろうという意図が見栄見栄だった。
それが証拠に1966年のビートルズの影響を受けた若者たちがこぞってエレキやドラムを習い始め、翌1967年から1969年まで続いたのが日本流GSブームだった。所詮、パクリだったため、2~3年くらいで下火を迎えた。
では驚く勿れ、どれほど多くのバンドが登場したか羅列したい。
https://www.youtube.com/watch?v=g__03es6AZc
1 ザ・ワイルドワンズ 「想い出の渚」
2 ザ・スパイダース 「あの頃君は若かった」 堺正章、井上順
3 ザ・タイガース 「君だけに愛を」 沢田研二、岸辺シロー、加橋かつみ
4 ザ・ジャガーズ 「君に会いたい」
5 ブルー・コメッツ 「ブルーシャトウ」
6 ヴィレッジ・シンガーズ
7 オックス
8 ザ・テンプターズ 萩原健二
9 ザ・カービナーツ
10 ザ・ゴールデンカップス
ほかにも全部で50以上ものロック&ロカビリー系のバンドユニットがそのブームにあやかろうと次々登場した。
では本家本元の演奏を当時の画像と共に振り返りたい。この公演を見た若者が感化され、似たようなバンドが数多く生まれた。
個人的には、1970年代に大人気を博したチェック柄衣裳の「ベイスティ・ローラーズ」もビートルズの二番煎じだと思っている。それを真似したのが日本の「レイジー」だ。髪型からコスチューム楽曲まで似すぎるほど似通っていた。
2 和製プレスリー、平尾正晃
エルヴィス・スプレスリーがロックンロールブームを巻き起こし、全米を熱狂させたのが1950年代。「史上最も成功したソロ・アーティスト」と言われ、「キング・オブ・ロックンロール」という称号まで手に入れた。
一方、平尾は1958年1月、キングレコードより「リトル・ダーリン」でソロ・デビュー。その後、ミッキー・カーチス、山下敬二郎と「ロカビリー三人男」として「日劇ウエスタンカーニバル」等で爆発的な大人気を博した。1958年には、キングレコードからオリジナルナンバーである「星は何でも知っている」、翌年には「ミヨチャン」を発表し、2曲共に100万枚を売り上げる大ヒットとなった。
いかにもプレスリーを真似た長いもみ上げとプレスリーをパクッたステージ衣裳、股を広げた独特な歌い方もすべてプレスリーそのものだった。当時の女性は彼の派手なアクションに熱狂し、テープを投げ入れ、ステージ上に上がり、抱きついたり、ステージから引き釣り下ろそうとするファンが大勢いた。
3 リカちゃん人形
今年で50周年を迎えた「リカちゃん」人形。女の子なら一度は遊んだことがある筈。これがアメリカのパクリだったら結構ショックで夢を壊す話だ。ではなぜ、パクリと断言できるのか?
バービー(Barbie)はアメリカの玩具メーカーマテル社が販売する着せ替え人形だ。その歴史は古く、1959年3月にアメリカマテル社から発売された。 同社の共同創業者一人であるポーランド系ユダヤ人のルース・ハンドラーが家族でヨーロッパを旅行中スイスを訪れた際目に留まったセクシードール、リリ(Lilli)を娘のバーバラへの土産に購入したことが元になっている。そのため、極端なプロポーションを持っている。初期のバービーは日本で製造されている。当時、日本はアメリカに比べ人件費が安く、繊維産業が盛んであり人形本体と衣装とをまとめて発注できるという理由から注目され、玩具問屋と小売を営む(株)国際貿易との交渉から日本生産が決まった。
もうおわかりだろう。バービーは初期型は日本で生産された。したがって、日本人がバービー人形を目にする機会があった。しかし、脚が長く鼻が高く、金髪スタイルの人形は、日本人の好みとは違う。まして黒人の人形は、色白の博多人形や雛人形を愛する日本人には受け入れがたく、バービー登場から7年後の1966年にタカラが日本人向けの着せ替え人形として生産発売したのが「リカちゃん」だった。もちろん、バービーと同様、家族を作り、女の子の人形遊びの定番となったことは言うまでも無い。
4 のらくろ
戦前、戦中と犬をキャラクターにした日本製の漫画やアニメだ。私はこのキャラクターはどうしてもスヌーピーと重なる。
しかし、スヌーピー(Snoopy)は、アメリカの漫画家、チャールズ・モンロー・シュルツが1950年 から書き始めた漫画『ピーナッツ』に登場するビーグル犬。性別はオス。作品の主人公 チャーリー・ブラウン少年の飼い犬である。
一方、「のらくろ」は、田河水泡の漫画作品、その主人公である野良犬。大日本雄辯會講談社(現・講談社)の雑誌『少年倶楽部』にて1931年から連載された。ということは、「のらくろ」のほうが早い。パクッたのは「スヌーピー」のほうだった。
5 ゴジラ
我が福島県が生んだ名監督・円谷英二が誕生させた「ゴジラ」だが。巨大怪獣を映画化したのは、アメリカのキングコングだ。アメリカで人気を博したのをヒントに、日本の子どもたちに夢と希望を与えるためにリメイクしたのが「ウルトラマン」と「ゴジラ」だった。ゴジラの誕生は、当時、ビキニ諸島なので行われた水爆実験に異論を唱えるため、その弊害の大きさをアピールする意図もあったという。ゴジラはゴリラとクジラの愛の子で、口から放射能を吐き、敵をやっつけるという皮肉も取り入れられた。
6 アリスのチャンピオン
昭和50年初頭に、ニューミュージックブームが沸き起こった。フォークやロックが隆盛し、シンガーソングライターと呼ばれるミュージシャンが次々登場した。その火付け役となったのが「YAMAHA」の「ポプコン」だ。そこで注目を浴びるとメジャーデビューできる、ミュージシャン版の「スター誕生」のようなものだ。その時代の頂点に君臨したのが「アリス」だった。「冬の稲妻」が大ヒットし、独特なアコースティックギターサウンドとアポロキャップを目深にかぶったスタイルがウケた。その後も「涙の誓い」や「ジョニーの子守唄」などヒットを飛ばし、彼らが頂点に立ち、神聖化したのが1978年に発売した「チャンピオン」だった。
年老いたチャンピオンが防衛戦で敗れ、普通の男に戻るまでの悲哀を描いた秀作だが、実はこの曲、その9年前の1969年に発売されたサイモン&ガーファンクルの「THE BOXER」と瓜二つの内容だった。曲調こそ違うが、歌詞のバックグラウンドもそっくり。特に、最後の「ライラライ・・・」と意味不明の歌詞まで同じ。谷村新司は「昴」もそうだが、他人の曲をヒントに作りかえている物も無きにしも非ずだ。その「ライラライ・・・」は、「これでただの男に帰れるんだ、これで帰れるんだ」と王座を陥落した元チャンピオンにそう語らせた後、それは「本心ではない嘘」という意味で「Lie(嘘で)」という表現を繰り返したと解釈している。
中学生だった私はアリスに魅せられ、彼らの楽曲をコピーしまくり、友達と歌っていたが、この事実を知ると、私は大ファンだっただけに裏切られた・・・という思いを強くした。
さて、今回の記事は個人の見解であり、果たして本当に事実かと思われる「予想の部分」もあることを予めご容赦願いたい。
それにしても疑えば疑えるだけの証拠がこれだけ揃っているもの事実だ。日本人は昔から人まねの天才であり、それを中国や韓国も真似しているだけに過ぎない。著作権や版権は大丈夫か?と懸念されるが、日本人が受け入れ易いように改良を加え、日本人に愛される事象に変えてしまうのは、日本人の特性なのかもしれない。
記事作成:5月3日(水)