今年放映された「君の名は。」。その映画に登場した場所の聖地巡礼というのが流行っているらしい。私もテレビや映画のロケ地を訪ね歩いたことが過去何度もあり、興味が湧く。そして3年前の秋に、私が好きだった3大スターの墓参りを実施したことがある。その3人とは天知茂、坂井泉水、石原裕次郎だった。もし時間があれば、いかりや長介、美空ひばり、尾崎豊、村下孝蔵など芸能人や、歴史に名を轟かせる偉人たちの墓参りを実施したいと思うし、また歴史に残る事件や事故があった場所を巡りたいという希望がある。
そこで今回の記事は、有名芸能人が命を絶った場所をお送りしたい。いずれ訪ねて拝礼し、在りし日のお姿を偲び、その活躍に感謝し、そしてご冥福をお祈りしたい。
坂井泉水
2007年5月26日朝5時40分頃、がん治療していた入院先の信濃町の慶應義塾大学附属病院内のスロープから3メートル下に転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見される。集中治療室で緊急処置を受けるも、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急逝する。40歳没。
http://www.oshimaland.co.jp/?p=wgamy436
↑病院は大島てるのHPに表記されないので一番近い物件をリンクします。
死去を伝えるNHKのニュース https://www.youtube.com/watch?v=gqBj2x-eTwo
可愛かずみ
1995年、当時交際相手で、ヤクルトに在籍していた川崎憲次郎と結婚間近と噂されるが、その後、川崎が「怪我の治療に専念したい」という理由から破局する。1996年3月、志村けんとのツーショット写真を週刊誌に撮られる。この時期から過度の精神的ストレスにより、1996年12月・1997年1月とリストカットの自殺未遂を繰り返す。1997年5月9日午前中に手首を切り3度目の自殺を図る。この時のためらい傷は3箇所に及んでいたという。縫合後、食事に出されたドリアを全部食べており、周囲の者には落ち着きを取り戻したように見えたという。しかし、午後6時30分頃、留守番の女性に「咳がでるから病院に行く」と言って出かけ、午後7時10分頃、川崎が住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降り、帰らぬ人となる。
亡くなった場所 http://www.oshimaland.co.jp/?p=oecovpw3
上の動画はファンによって撮影、アップされたもので予告なく削除される場合があります。
飯島愛
2008年12月24日、東京都渋谷区桜丘町の渋谷インフォスタワーの21階自室にて死亡しているのが親戚の女性によって発見された。その後、警察などの捜査によって、発見時現在で死後1週間ほど経過していたことが判明した。死亡推定日は発見日である12月24日から起算して12月17日前後であると考えられている。36歳没。2009年(平成21年)2月4日、東京都監察医務院による病理検査の結果が警視庁渋谷警察署より発表され、死因は肺炎であったことが判明した。
亡くなった場所 http://www.oshimaland.co.jp/?p=aezaf8xq
岡田有希子
1986年4月8日、自宅マンションでリストカットを行いガス自殺未遂。2階上のマンション住民がガス臭に気づき、管理人が110番と東京ガスに通報した。レスキュー隊が駆けつけたとき、岡田は押入れの下段でうずくまり、泣いていたという。現場から程近い北青山病院にて治療した後、芸能事務所に戻った直後の12時15分、事務所が入居しているビル(東京都新宿区四谷四丁目大木戸ビル第一高橋ビル)の屋上から飛び降り自殺し、全身強打で即死した。享年20(満18歳没)。
亡くなった場所 http://www.oshimaland.co.jp/?p=4qwntda2
尾崎 豊
1992年(平成4年)4月25日早朝、当時の尾崎の自宅であるマンションからのある千住曙町から約500メートル離れた、足立区千住河原町45-9の民家の軒先に全裸で傷だらけで倒れていたところを住人に発見され、5時45分ごろ、通報で墨田区内の白鬚橋病院に運び込まれる。診察した医師は「生命に関わることも考えられるので、専門医に見てもらった方がいい」と診断したが、尾崎は妻と兄ともに自宅マンションに戻る。しかし、10時ごろになって容体が急変、呼吸が止まっているのに気がついた家族が約1時間後の11時9分に119番通報。搬送先の日本医科大学付属病院で手当を受けるも、午後0時6分に死亡した。
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彼が倒れていた場所は後に「尾崎ハウス」と呼ばれ。生前の彼を偲ぶ聖地となり、彼の熱狂的なファンが訪れていたが、2011年10月に老朽化により取り壊しになった。
さて、今回の記事は、ファンだった方々にとってはとても辛く悲しい記憶を思い出させてしまったかもしれないが、彼らが確かにこの世に存在し、芸能活動を通じて多くの方々を勇気づけ、あるいは希望を与え続けてくれたことを後世に伝えたくてあえて掲載した次第だ。私も、時間がとれれば、こうした最期を遂げた場所や墓所を訪ね、在りし日の姿を偲びながらご冥福をお祈りしたいと考えている。
記事作成:11月6日(日)